ヤマハWGP参戦60周年を祝う白と赤の記念カラーで参戦
スーパーバイク世界選手権、世界耐久選手権
Yamaha Motor Europeは2021年9月16日、ヤマハ発動機株式会社のロードレース世界選手権(WGP)参戦60周年を記念し、スーパーバイク世界選手権(WSBK)第9戦カタルニア大会(スペイン)と、世界耐久選手権(EWC)の第3戦ボルドール24時間耐久レース(フランス)に、白と赤を施した60周年記念カラーの「YZF-R1」で参戦することを発表した。
ヤマハは1961年のフランスGPからWGP参戦を開始し、1963年に初優勝を達成。そこから長い年月を経て、バレンティーノ・ロッシ選手、ケニー・ロバーツ選手、ウェイン・レイニー選手、フィル・リード選手、ジャコモ・アゴスティーニ選手など、多くのライダーとともに517勝を獲得。ライダー、コンストラクター、チームのタイトルの合計は82回と、二輪モータースポーツにおいて最もよく知られ、最も成功したブランドの一つとなった。そして2021年初旬には、少なくとも2026年までのMotoGP世界選手権参戦を発表した。
WSBKでは、「Pata Yamaha with Brixx WorldSBK」と「GRT Yamaha WorldSBK Team」が、レースの最高峰クラスで戦い続けたヤマハの60年間を記念した白と赤の「YZF-R1」を走らせるほか、同日、フランスで行われるEWCでは、「YART Yamaha Official EWC Team」が「YZF-R1」に同様のカラーリングを採用して出場する。
マシンに加えライダーたちが使用する装具などにも特別なカラーリングを施し、スタッフたちもまた白と赤のチームウエアを着する。
アンドレア・ドソーリ談(ヤマハ・モーター・ヨーロッパ、ロード・レーシング・マネージャー)
「ヤマハは60年間にわたり、ロードレース世界選手権の中心的存在であり続けました。私たちはこの輝かしい歴史を非常に誇らしく思っています。ヤマハはこれまでに多くのライダーと数々の成功をおさめ、レース活動をレース界の隅々にまで拡大してきました。これらのことを私たちは、とても懐かしく振り返ることができます。白と赤のカラーリングは、すべてがはじまった1961年のフランスGPに挑んだ先人たちに敬意を表するものであり、現在のYZF-R1で再現されるのを楽しみにしています。この場を借りて、ここまで支えてくれたすべての方々に感謝いたします。ありがとうございました」
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トライアル世界選手権 藤波貴久選手が26年間の世界選手権キャリアに終止符
Hondaは、株式会社ホンダ・レーシング(HRC)の契約ライダーで、FIMトライアル世界選手権のチャンピオンを、2004年に日本人として初めて獲得した、レプソル・ホンダ・チーム(Repsol Honda Team)の藤波貴久選手が、今シーズン限りで引退することを発表した。
藤波貴久選手は、1980年三重県生まれの41歳。3歳からモトクロスを始め、自転車トライアルなども経験した後、’93年には13歳で全日本トライアル選手権に参戦し、’95年には最年少の15歳で全日本トライアル選手権のタイトルを獲得。
翌’96年から世界選手権に参戦開始し、‘97年のドイツ大会では史上最年少の17歳237日で初優勝を果たす。’98年には世界選手権ランキング5位を獲得すると、‘99年から2003年まで5年連続で世界選手権ランキング2位を獲得し続け、‘04年には日本人初となるチャンピオンに輝いた。その後も’17年まで21年連続でランキングトップ5入りという大記録を樹立し、今シーズンは開幕戦イタリア大会の2日目に、自身5年ぶりの優勝を41歳151日の最年長優勝記録で飾っている。今週末に開催されるポルトガル大会が、藤波選手にとっての通算355戦目であり、最後のトライアル世界選手権への参戦となる。
レプソル・ホンダ・チーム 藤波 貴久
「26年間、トライアル世界選手権で戦い続け、今こそキャリアに幕を閉じる時が来たと確信しています。長きに渡り応援してくださった人たちのおかげで、トライアルのプロとして戦うことができ、25年以上にわたって想像を超える戦績を残すことができました。ありがとうございます。
とても幸せな26年間でした。最初からサポートしてくれた家族、チームスタッフ、HondaならびにHRC、そしてスポンサーの皆様にも感謝しております。また、ずっと応援してくれたファンの一人一人にありがとう、と伝えたいと思います。
16歳の時にHRCとMontesa-Hondaが世界選手権に参戦するバイクを提供してくれて以来、最後までプライドを持ってチームとともに戦うことができました。世界選手権にデビューした時の観客の応援と拍手を今でも鮮明に覚えています。初優勝のドイツ戦、その後の苦しく難しい数年間、そして2004年にチャンピオンシップを獲得した時の喜び、どれも昔のことですが、自分にとっては一生の宝です。特に思い出深いのは2000年から始まったツインリンクもてぎでの大会で、毎年とても情熱的なファンの皆さんが応援に来てくれました。本当にありがとうございました。
これからどうするかは、まだ分かりません。ライダーを引退してからどうするかまだ決めていませんが、何らかの形でトライアルに関わり続けようと思います。新たな人生も、きっと全てうまくいくと信じています」
株式会社ホンダ・レーシング 代表取締役社長 若林 慎也
「藤波貴久選手、トライアル世界選手権における26年間の選手生活お疲れ様でした。長年にわたりトライアル世界選手権の最高峰クラスで、常にHondaの代表、日本の代表としてトップレベルで戦い続け、輝かしい戦績を残してくれた藤波選手には感謝の言葉しかありません。世界の頂点で闘い続けるために、常に自分と向き合い人並み以上の努力を積み重ねてきたことと思います。またけがによって自分のパフォーマンスを発揮できずに、苦しんだことが何度もあったことも知っています。彼が世界中の誰よりもトライアルが好きだからこそ、逆境を跳ね除けて長年にわたり戦い続けられたのだと思います。最後になりましたが、これまで藤波選手のレース活動を支えてくれたチームスタッフ、ご支援いただいた多くのスポンサー様、藤波選手を応援し続けていただいたファンの皆様、全ての皆さまに感謝申し上げます」
トライアル世界選手権での記録
出場数: 354戦(歴代1位)
優勝回数: 34勝(歴代5位)
累計獲得ポイント: 4,722ポイント(歴代1位)
最年少優勝記録: 17歳237日
最年長優勝記録: 41歳151日(2021年9月15日現在)
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ロッシ選手がMotoGPライダーを引退、ヤマハMotoGP活動への多大なる貢献に感謝 MotoGP世界選手権
9度の世界チャンピオンに輝いた伝説のライダー、バレンティーノ・ロッシ選手が、2021年シーズンをもってMotoGPライダーを引退することを発表した。ヤマハ発動機株式会社とヤマハ・モーター・レーシングは、今も継続中である16年間の素晴らしいパートナーシップに心より感謝の意を表した。
ヤマハ発動機株式会社とロッシ選手のパートナーシップは2004年、南アフリカGPでの勝利から始まった。以来、サーキットの内外で数々の素晴らしい瞬間を共有し、現在までに142回の表彰台、56回の優勝、そして2004年、2005年、2008年、2009年と4度のMotoGP世界選手権のチャンピオンを獲得した。
この驚異的な戦績、レースへの情熱、そして無類のカリスマ性は、ヤマハ発動機株式会社とMotoGPの歴史に多大なる影響を与えており、世界中で認められているロッシ選手は、「GOAT」(Greatest of All Time)という称号を得ている。
2022年にゼッケン46をつけるロッシ選手がMotoGPに出場しないということは、ヤマハ発動機株式会社にとっても、MotoGPにとっても、ひとつの時代が終わることを意味する。しかし、ヤマハ発動機株式会社とヤマハ・モーター・レーシングは、2021年以降も「VR46 Riders Academy」や「YAMAHA VR46 Master Camp」などを通じ、ロッシ選手との緊密な協力関係を維持していく予定だ。
今回の引退発表と新たなキャリアへの移行は、ロッシ選手がMotoGPライダーとして戦う残りの数ヵ月間のモチベーションに影響を与えることはなく、ヤマハ発動機株式会社も、MotoGPレジェンドであるロッシ選手の貢献に感謝し、残る9戦が特別なパートナーシップを締めくくるにふさわしいレースとなるよう、最善を尽くす。
日髙祥博談(ヤマハ発動機株式会社 代表取締役社長)
「はじめに、この場をお借りしてロッシ選手との素晴らしいパートナーシップに感謝の意を表します。ロッシ選手がコースやパドック、そして私たちとともにいないことは非常に寂しいことですが、私たちはロッシ選手の決断を尊重します。同時に、ともに築き上げてきたグランプリでのレガシーは大きな誇りです。
私たちがパートナーとして過ごした16年間は、壮絶な戦いと勝利に満ち溢れていました。ヤマハはファンやお客さまに“感動”をお届けすることを企業理念としていますが、ロッシ選手のヤマハにおける全キャリアは、特別な価値のあるものに出会ったときに感じる強い満足感と、大きなエキサイトメントそのものでした。今回、ロッシ選手がMotoGPキャリアの最後までヤマハのライダーであり続けてくれたことを、社員一同、大変うれしく思っています。
当社とロッシ選手の間には素晴らしい思い出がたくさんあり過ぎて、最もうれしかった瞬間をあげようとしてもひとつに絞ることはできません。困難なこともありましたが、信頼関係は決して揺らぐことなく、長年にわたって強固なパートナーシップを継続してきました。その間のロッシ選手の功績は、サーキットの内外に広がり、ヤマハのレース史における重要な役割を果たしてくれました。
信じがたいほどの努力と類まれなスキル、そして尽きることのない情熱に感謝し、そのサクセスストーリーをともに歩むことができたことを誇りに思います。私たちは、ともに築き上げた貴重な思い出を永遠に大切にしながら、今後も当社との関係性を維持し活躍していただくことを期待し、その思い出をさらに増やしていきたいと思います」
リン・ジャービス談(ヤマハ・モーター・レーシング・マネージング・ダイレクター)
「まず、ヤマハ・モーター・レーシングを代表して、これまでの特別なパートナーシップに心から感謝します。ロッシ選手が16年間にわたりヤマハのライダーとして活躍してくれたおかげで、私たちは伝説的なグランプリの時代にキープレーヤーであり続けることができました。
ヤマハとロッシ選手のパートナーシップは、まるでおとぎ話のように始まりました。ロッシ選手は、ヤマハで最初のレースとなった2004年のウェルコムで、見事な優勝を成し遂げました。それは、ヤマハのMotoGPレースプログラムを一変させ、チャレンジ精神を取り戻して再びMotoGP世界チャンピオンになるための自信を与えてくれました。
こうして2004年から現在までに264戦に出場して56勝をあげ、2位を46回、3位を40回獲得し、2004年、2005年、2008年、2009年と4度のMotoGP世界選手権のチャンピオンを獲得しています。
ロッシ選手は生ける伝説であり、その成功と才能は、ヤマハのレース史に多大な貢献をしました。また困難な時には、彼のポジティブな考え方が周囲を後押しし、良い結果を得るための努力の源となりましたが、これもロッシ選手のMotoGPに対する強い情熱があったからこそです。
ロッシ選手の輝かしいグランプリでのキャリアに終わりが来ることは、誰もがわかっていました。ロッシ選手の比類なきスキルとカリスマ性は、ファン、メディア、MotoGPパドック、そしてヤマハのスタッフ全員から非常に惜しまれるものとなるでしょう。2021年の残りのグランプリで、ロッシ選手の走りを堪能できる機会はあと9回あります。その意味で、これから開催されるレースでファンが戻って来てくれるとすれば非常にうれしいことです。残りのレースを楽しみ、11月のバレンシアGPではロッシ選手に感謝の気持ちを伝えたいと思います」
バレンティーノ・ロッシ選手が残した記録
26シーズンにわたってグランプリに参戦し、42歳の今もなお戦い続けているロッシ選手は、史上最も偉大なライダーの一人だ。そのキャリアのなかでマイク・ヘイルウッド選手、カルロ・ウッビアーリ選手と並ぶ全クラスで合計9回のチャンピオンを獲得。ジャコモ・アゴスチーニ選手とアンヘル・ニエト選手だけがその数を上回っている。ヤマハで264戦中56勝のロッシ選手は、ヤマハの歴代チャンピオンの中で最も成功したライダーとなる。さらには、5種類のレーシングマシン(500cc4 気筒2ストローク、990cc 5気筒4ストローク、ヤマハ990cc 4気筒4ストローク、ヤマハ800cc 4気筒4ストローク、ヤマハ1000cc 4気筒4ストローク)で最高峰クラスのチャンピオンを獲得した唯一のライダーでもある。
・ | これまでヤマハで264戦に出場し、優勝56回、2位46回、3位40回を獲得してきたヤマハ史上最も成功したライダー。 |
・ | 1996年にグランプリデビューを果たして今季で26年目を迎えており、グランプリで最も長く活躍している。これまで423戦に出場し、そのうち363戦が最高峰クラス。 |
・ | ヤマハでMotoGPクラスに参戦した期間(今季で16年目)が最も長いライダー。 |
・ | ヤマハで142回の表彰台に立ち、MotoGPクラスに参戦したヤマハライダーの中で最も多くの表彰台を獲得している。 |
・ | MotoGPクラスでヤマハ最多となる56勝を獲得している。 |
・ | 1996年のマレーシアでのデビューから2010年のムジェロでまで連続230レースを欠場することなく完走している。 |
・ | グランプリの全クラスで423戦、最高峰クラスでは363戦(264戦がヤマハでの出走)に出場。全クラスおよび最高峰クラスでの最多出場記録を保持している。 |
・ | 2004年の開幕戦、南アフリカGPで優勝し、異なるメーカーで最高峰クラスの連覇を達成した初のライダー。 |
・ | 2005年には11勝をあげ、ヤマハライダーでは最多となる年間優勝回数を記録している。 |
・ | 最高峰クラスで199回、全クラス合計で235回の表彰台に立っている。 |
・ | グランプリライダーの中で唯一、ラリーでも活躍している(モンツァ・ラリーで7回の優勝経験があり、アブダビのヤス・マリーナ・サーキットで開催された2019年ガルフ12時間レースのGTE Amクラスで優勝)。 |
・ | ヤマハがグランプリで獲得した516勝のうち、最多となる56勝(11%)を獲得。 |
・ | 現役のグランプリライダーであり、同時にチームオーナーでもある唯一の存在。 |
・ | 125cc、250cc、500cc、MotoGPの全クラス合計で6,330ポイントを獲得している(2021年スティリアGP以前) |
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中須賀克行選手が国内最高峰クラスで通算10度目のチャンピオンを獲得 全日本ロードレース選手権
2021年7月18日、三重県の鈴鹿サーキットで全日本ロードレース選手権の第5戦 第53回MFJグランプリが行われ、「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」から「YZF-R1」で参戦する中須賀克行選手がレース1、レース2で連勝し、国内最高峰JSB1000で通算10度目のチャンピオンを獲得した。
中須賀選手は2005年にJSB1000への参戦を開始して以来、多くの先人たちを乗り越え、自身の記録を更新しながら10度のチャンピオンを積み上げただけでなく、2012?2016年の5連覇、通算60勝など、1967年から54シーズン目となる全日本ロードレースにおいて、前人未到となる数々の記録を打ち立てている。
2005年、「SP忠男レーシングチーム」からJSB1000に参戦を開始した中須賀選手は、2006年からヤマハトップチームの「YSP Racing Team sponsored by PRESTO Corporation」に加入。2007年の第4戦オートポリスで初優勝を遂げると着々と力をつけ、翌2008年に初のチャンピオンを獲得し2009年には連覇を達成した。その後は2シーズンに渡りチャンピオンを逃すも、2012・2013年に連覇。2014年にはヤマハライダーである平忠彦選手、藤原儀彦選手に並ぶ全日本ロードレースの最高峰クラス3連覇を達成した。
さらに2015年からは「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」の復活を受け、そのエースライダーとして新型「YZF-R1」を駆り4連覇。2016年には5連覇という金字塔を打ち立てた。
2017年は、序盤にリタイアが続きランキング6位にとどまりまったが、2018年には自己最高となる年間8勝をあげて8度目のチャンピオンに輝くと、2019年には第7戦オートポリスのレース1で通算50勝を達成するなど6勝をあげて9度目のチャンピオンとなった。
2020年、開幕戦での転倒・負傷など不運が重なりランキング7位となったものの、2021年は開幕戦、ツインリンクもてぎでのレース1で優勝すると、第3戦SUGOのレース1の中止を挟んで5連勝し、ランキング2位に53.5ポイントの大差をつけてMFJグランプリに臨んだ。
MFJグランプリでは、ヤマハ社のロードレース世界選手権参戦60周年を記念し、白と赤のカラーリングを施した「YZF-R1」で参戦。レース1、レース2で連勝し自己通算60勝を達成するとともに、10度目となるチャンピオンを達成した。また中須賀選手は開幕から7連勝中で、残り2大会では、自己最高となる年間10勝とシーズン全勝を目指す。
中須賀克行選手談
「毎年チャンピオンを獲得したとしても10年かかることを考えれば、本当に誇れる記録を作ることができたと思います。また、ヤマハトップチームに加わったのが2006年で、現在に至るまで常にトップを走ることができたことが本当に嬉しいし、ヤマハには本当に感謝しています。長く国内を走ってきましたが、国内で戦う限りはここで必要とされる存在になりたいと考えて戦ってきました。今回、10度目のチャンピオンを獲れたことは、今後のレース活動に大きな自信になりました。またJSB1000で60勝目ですが、毎レースで優勝を目指して頑張ってきて、その一つ一つの積み重ねがチャンピオンへとつながりましたが、優勝回数もまた誇りでもあり、常にいいマシンを提供し続けてくれたヤマハ、そしてこのYZF-R1を戦闘力の高いレース仕様へと造り上げてくれたスタッフ、そして長きにわたって応援してくれたファンの皆さんに感謝しています。ありがとうございました」
吉川和多留監督談
「10回目のチャンピオンは本当にすごい記録だし、60勝というのも途方もない記録で、おそらく今後、破られることはないでしょう。中須賀選手がヤマハに加入してから、お互いに助け合い、時にプレッシャーをかけ合っていろいろな記録を2人で築いてきた感じがあります。現在は日本のトップライダーですが、最近はよく中須賀選手から、“昔、言われた内容を最近になってようやく理解することができた”と言われます。若い頃には理解できないことが、経験を積むにつれて理解できていくというのはよくある話ですが、中須賀選手がヤマハの、そして日本のトップライダーとしての地位を築いたように、今度は中須賀選手が若いライダーを育ててくれる日を楽しみにしています」
中須賀選手 2021シーズンの戦績 ※第5戦終了時
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鈴鹿8時間耐久ロードレース第43回大会に川崎重工のファクトリーレースチーム「Kawasaki Racing Team Suzuka 8H」が参戦
株式会社カワサキモータースジャパンは、2021年11月5日(金)から7日(日)に開催される 「2021 FIM世界耐久選手権“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース 第43回大会(以下、鈴鹿8耐)」に川崎重工のファクトリーチーム「Kawasaki Racing Team Suzuka 8H」が参戦することを発表した。
同チームは、2019年の前回大会で激闘の末、26年ぶり2度目の優勝を果たした。今大会では、Kawasakiとして初となる連覇を目指して戦う。ライダーは、前回大会でエースライダーとして優勝に大きく貢献し、またスーパーバイク界選手権(以下、WSBK)で前人未到の6連覇を達成したジョナサン・レイ、2020年シーズンよりジョナサン・レイのチームメイトとしてWSBKに参戦中で鈴鹿8耐優勝経験もあるアレックス・ロウズ、同じくWSBK参戦中のルカ・マイアスの3人。マシンは、2021年に登場した新型 Ninja ZX-10RRの鈴鹿8耐仕様となっている。
■チーム名…Kawasaki Racing Team Suzuka 8H
■マシン…Ninja ZX-10RR(鈴鹿8耐仕様)
■ライダー…ジョナサン・レイ(Jonathan Rea)/アレックス・ロウズ(Alex Lowes)/ルカ・マイアス(Lucas Mahias)
ジョナサン・レイ(Jonathan Rea) アレックス・ロウズ(Alex Lowes) ルカ・マイアス(Lucas Mahias)